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東京高等裁判所 昭和51年(ネ)1123号 判決

控訴人 中村ナミ

右訴訟代理人弁護士 遠藤雄司

被控訴人 甲野太郎

右訴訟代理人弁護士 奥野健一

同 早瀬川武

同 萩原克虎

主文

原判決を取り消す。

東京地方裁判所が同庁昭和四八年(手ワ)第六〇八号約束手形金請求事件につき昭和四八年八月二〇日に言い渡した手形判決を認可する。

第一審における異議後の訴訟費用及び控訴費用は被控訴人の負担とする。

事実

一  控訴代理人は、主位的に主文第一、二項と同旨及び「訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を、予備的に「被控訴人は控訴人に対し、二四〇〇万円及びうち八〇〇万円に対する昭和四六年八月八日から、うち一〇〇万円に対する昭和四六年八月一一日から、うち三〇〇万円に対する昭和四六年八月一三日から、うち一五〇万円に対する昭和四六年八月一七日から、うち三〇〇万円に対する昭和四六年八月二四日から、うち三五〇万円に対する昭和四六年八月二五日から、うち四〇〇万円に対する昭和四六年八月三一日から、各完済に至るまで年六分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、主位的請求につき控訴棄却の判決を、予備的請求につき請求棄却の判決を求めた。

二  当事者双方の事実上の主張並びに証拠の提出、援用及び認否は、次に加え、改め、削るほか、原判決(その引用にかかる手形判決添付別表を含む。)事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

1  原判決二枚目―記録三〇丁―表七行目の「別紙」を「添付」と改め、同裏二行目の「原告は」を削り、同行の「手形を、」を「手形は、」と改め、その後に「控訴人から引渡しの方法によって譲渡を受けた訴外高沢信一が訴外永楽信用金庫を通じて」を加え、同裏五行目の「各満期以降」を「各満期の後である前記請求の越旨記載の日から」と改め、同行の「所定」の後に「年六分の」を加え、原判決三枚目―記録三一丁―表二行目の「2と」を「2の事実は認める。」と、同行の「認める」を「支払呈示のみを認め、その余は不知」とそれぞれ改め、同表末行の「伴」の後の「な」を削り、原判決四枚目―記録三二丁―裏七行目の「自働債権として、」の後に「昭和四八年一二月一二日の本訴口頭弁論期日において、」を、原判決六枚目―記録三四丁―表四行目の「ある」の後に「から却下されるべきである。そうでないとしても、被控訴人は、本訴提起後でありかつ本件各手形の最初の満期の日から三年が経過する以前である昭和四九年六月二六日に、振出人たる訴外堀池稔に対して訴訟告知をすることによって、本件各手形を受戻した場合に右振出人に対して取得すべき手形金請求権について消滅時効を中断している」を、同裏五行目末尾に「更に、控訴人主張の訴訟告知は、告知人たる被控訴人自身の利益のために認められたものであるから、控訴人の被控訴人に対する権利の消長に影響を与えるものではないし、右訴訟告知はその後取下げられて失効した。」を、同裏七行目の「否認する」の後に「、そうでないとしても、前記弁済約束により新たな法律関係が発生したのであるから、被控訴人は右約束に矛盾する主張をすることは許されない」をそれぞれ加える。

2  《証拠関係省略》

3  控訴代理人は、予備的請求の原因として、次のとおり述べた。

(一)  控訴人は、昭和四六年五月二六日ころ、被控訴人に対して二九〇〇万円を貸付けた。

(二)  被控訴人は、昭和四八年三月六日ころ、右元金のうち五〇〇万円を返済したが、その際、控訴人と被控訴人間で、被控訴人が昭和四八年三月一五日までに残元金を返済しない場合には、右貸金の担保として裏書譲渡した手形判決添付目録記載の約束手形の額面相当額につき、支払呈示の翌日から完済に至るまで年六分の割合による利息を付加して支払う旨の和解契約が締結された。

(三)  控訴人は、手形判決添付目録記載一、二の手形を昭和四六年八月七日、三の手形を同月一〇日、四の手形を同月一二日、五の手形を同月一六日、六の手形を同月二三日、七の手形を同月二四日、八の手形を同月三〇日にそれぞれ支払のために呈示した。

(四)  よって、控訴人は被控訴人に対し、予備的請求として、右残元金二四〇〇万円及びこれに対する右各手形金相当額につき支払呈示の翌日から完済まで年六分の割合による利息の支払を求ある。

4  被控訴代理人は、予備的請求の原因に対する認否として、次のとおり述べた。

(一)  第一項の事実は否認する。

(二)  第二項のうち五〇〇万円を支払った事実は認めるが、その相手方は控訴人ではなく訴外増田亀吉である。同項のその余の事実は否認する。

(三)  第三項の事実は認める。

(四)  第四項は争う。

理由

一  控訴人が手形判決添付目録記載の約束手形八通(以下、本件各手形という。)の所持人であることは、当事者間に争いがない。

二  そこで、本件各手形になされた被控訴人の裏書が真正なものであるかどうかについて検討する。

1  まず、《証拠省略》によると、本件各手形の第一裏書欄になされた被控訴人の記名は「東京都新宿区○○×丁目××番地、△△ビル×階×××号室、弁護士甲野太郎、電話×××局××××番、電話△△△局△△△△番」と刻した横書きのゴム印の押捺によってなされたものであり、その名下の印影は「甲野」と刻した楕円形の小型の印章によって押捺されたものであることが認められる。そして、被控訴人は、右記名、押印は被控訴人がしたものではなく、訴外松本美夫及び辻谷勝美が偽造したものであると主張し、《証拠省略》中には、右ゴム印及び印章はいずれも当時被控訴人が使用していたものとは異なるとの供述がある。しかし、訴外松本及び辻谷が右にみたような被控訴人の住所及び弁護士の肩書きのあるゴム印や印章を勝手に調製した事実を認めるべき証拠はないし(被控訴人は、昭和四五年以前から右ゴム印とは異なるゴム印を使用していたとして((昭和五〇年一月一七日付準備書面参照))、「〒160東京都新宿区○○×丁目△番△△号、△△ビル×××号室、弁護士甲野太郎、電△△△―△△△△・×××―××××」と横書きに刻したゴム印を押捺した乙第五号証の二を証拠として提出しているが、《証拠省略》によると、同号証に押捺したゴム印は昭和四八年一月((右供述中に昭和四九年一月と読める部分があるのは、《証拠省略》と対照して昭和四八年一月の誤記憶と認められる。))実施の住居表示の改正にあわせて調製されたものであることが認められるばかりでなく、《証拠省略》によると、右改正以前における被控訴人の住居表示は、本件各手形にゴム印で押捺されたのと同じであったことが認められるから、被控訴人が昭和四五年以前から乙第五号証の二に押捺されたゴム印を使用していたとのことはあり得ず、それを理由にして本件各手形に押捺されたようなゴム印は使用していなかったとはいえない。)、《証拠省略》によると、被控訴人は、本件各手形が不渡りになった後の昭和四七年一一月二七日付で、控訴人に対し、訴外堀池稔が振出し被控訴人が裏書した合計二九〇〇万円の約束手形について絶対に迷惑をかけず責任をもって返済する旨の確認書(甲第一〇号証)を差入れ、又、昭和四八年三月六日には、控訴人の代理人である弁護士遠藤雄司に対して右二九〇〇万円のうちの五〇〇万円を支払うとともに、同弁護士との間で、残りの二四〇〇万円の約束手形(その内容が本件各手形と同じであることを示す一覧表が付記されている。)について裏書人としての支払義務があることを再確認しこれを同月一五日までに支払うべく、もし右期日までに支払をしない場合には裁判上の請求手続をとられても一切異議を述べない旨の確認和解書(甲第九号証)を交していることが認められるから、これらの事情と対比して被控訴人の前記偽造の主張はとうてい採用できない。

2  もっとも、被控訴人は、右甲第九、第一〇号証は訴外増田亀吉ら又は控訴人の代理人である右遠藤弁護士の強迫又は強制に基づいて作成されたものであると主張しており、《証拠省略》中には、右主張に符合する供述がある。しかし、当裁判所に顕著な、高齢とはいえ永年法曹職にありみずからその経歴を誇る被控訴人が、短期間のうちに二回も自己の意思に反して多額の金員の支払義務を認めた書面に署名、捺印するとは考えられないし、《証拠省略》によると、被控訴人は、前掲甲第一〇号証に署名、捺印した後にも、昭和四八年二月八日到達の内容証明郵便で前記遠藤弁護士から本件各手形につき裏書人としての義務履行を求められたのに対して、同年二月九日付で同弁護士あてに近日中に返済をするとして暫時の猶予を求める内容証明郵便を発し、又、同年二月二四日及び前掲甲第九号証に署名捺印した後である同年三月三一日には、控訴人本人あてに裏書人としての責任を認める旨を明記した私信を発していることが認められるから、これらの事情に照らして前記強迫又は強制の主張に符合する被控訴人の供述は信用できず、右主張は採用できない。

3  そうすると、被控訴人の偽造の主張は理由がなく、以上に認定した事情を総合すると、本件各手形になされた被控訴人の裏書はすべてその意思に基づいてなされた真正なものと認めるのが相当である。

三  次に、被控訴人の消滅時効の抗弁について検討する。

1  本件各手形のうちもっとも遅い満期が昭和四六年八月二九日であることは、手形判決添付目録記載の手形要件に照らして明らかであるから、被控訴人の裏書人としての償還義務については右同日から手形法七七条一項八号、七〇条二項所定の一年を経過した昭和四七年八月二九日を最後としてすべて消滅時効の期間が経過したことになる(因に本訴提起の日時は昭和四八年三月三〇日)。

2  これに対し、控訴人は、被控訴人は右消滅時効の完成後にその利益を放棄したと主張する。まず、被控訴人が、昭和四七年一一月二七日付で、控訴人に対し、訴外堀池が振出し被控訴人が裏書した合計二九〇〇万円の約束手形について絶対に迷惑をかけず責任をもって返済する旨の確認書を差入れ、又、昭和四八年三月六日には、控訴人の代理人である遠藤弁護士に対して右二九〇〇万円のうちの五〇〇万円を支払うとともに、同弁護士との間で、残りの二四〇〇万円の本件各手形について裏書人としての支払義務があることを再確認しこれを同月一五日限り支払うべく、もし右期日までに支払をしない場合には裁判上の請求手続をとられても一切異議を述べない旨の確認和解書を交していることは、前記認定のとおりである。そして、《証拠省略》によれば、被控訴人は、裏書人としての償還義務が昭和四七年八月二九日までにすべて消滅時効にかかっていることを知っていたことが認められるから、被控訴人は、消滅時効の完成を知りながら右確認書及び確認和解書において裏書人としての償還義務を承認したことになり、したがって、消滅時効の完成後にその利益を放棄したことになるというべきである(たとえ被控訴人が右確認書及び確認和解書を作成した当時にはなんらかの事情によって消滅時効の完成を知らなかったとしても、被控訴人は消滅時効の完成後に債務の承認をしたことに変りがないから、もはやその後になって消滅時効を援用することは許されない((最高裁昭和四一年四月二〇日判決、集二〇巻四号七〇二頁参照))。)。

なお、《証拠省略》中には、被控訴人が右確認書及び確認和解書において承認したのは訴外松本及び辻谷が借金するについてなした連帯保証人としての債務であって手形裏書人としての償還義務ではない旨を強調した記載ないし供述があるが、右確認書及び確認和解書が手形裏書人としての償還義務を承認する趣旨を含むことはその記載に照らして疑問の余地がないから(手形外の連帯保証人としての債務を承認する趣旨をも含むとしても、前記認定の妨げとなるものではない。)、右各証拠中右部分は採用できない。

3  ところで、本件各手形の振出人の手形金支払義務については、前記最後の満期である昭和四六年八月二九日から手形法七七条一項八号、七〇条一項所定の三年が経過した昭和四九年八月二九日をもってすべて消滅時効期間が満了していることが明らかであるところ、控訴人は右振出人につき時効中断の事由の存することについてはなんらの主張、立証をしないから、少なくとも所持人たる控訴人との関係では、振出人の手形金支払義務は時効によって消滅したものということができる。そして、被控訴人は、このように所持人に対する関係で振出人の手形金支払義務が時効消滅したときは裏書人たる被控訴人の償還義務もこれに伴って消滅すると主張する。その根拠とするところは、裏書人の償還義務は振出人の手形金支払義務に対して二次的、補充的なものであること、所持人に対する関係で振出人の手形金支払義務が時効消滅した場合には、その手形は内容的にみて完全な手形とはいえなくなるから、裏書人が所持人に対して手形金を支払わねばならないとすればこのような手形を受戻しても償還による失費を回復する余地がなく、有効な手形との引換えにのみ償還義務を履行すべき旨を定めた手形法五〇条一項の趣旨に反すること、控訴人は手形の所持人としていつでも振出人に対して時効中断の手続をとってその権利の消滅を阻止することができたのに、これをしないで振出人の手形金支払義務を時効消滅させたことはその怠慢であり、このような怠慢を償還請求によって裏書人の負担に帰せしめるのは妥当でないことなどにあると解される。

しかしながら、一般論はともかくとして、これを本件の具体的事案に即して検討するに、

(一)  《証拠省略》を総合すれば、被控訴人は、前記確認書及び確認和解書において、控訴人に対して、本件各手形についての裏書人としての償還義務を、単に振出人の手形金支払義務の存続を前提とするような二次的、補充的な義務としてではなく、実質関係上の事情をも加味することによって、振出人の手形金支払義務の存否を問わないか、少なくともこれと併存する一次的かつ終局的な義務として承認したものとも解することができるから、このことに鑑みると、右確認書及び確認和解書の作成後に所持人との関係で振出人の手形金支払義務が時効消滅したからといって、その一事で、被控訴人の控訴人に対する償還義務もすべて消滅すると解するのは相当でない。もとより、本件では、所持人の振出人に対する手形金請求の当否が問題になっているわけではないから、右のように解したからといって、裏書人たる被控訴人が自己の償還義務について認められている時効の利益を予め放棄したことにはならないというべきである。

(二)  のみならず、被控訴人は、振出人の手形金支払義務について消滅時効期間が経過する以前に訴訟告知をすることにより、やがてみずからが振出人に対して取得すべき手形金請求権についての消滅時効を中断し、償還義務を履行することによって負うべき失費を回復するために必要な保全措置を講じていることに注意しなければならない。即ち、記録によると、被控訴人は、本訴の第一審係属中でありかつ本件各手形の最初の満期から三年の消滅時効期間が経過する直前である昭和四九年六月二四日裁判所に提出、同月二六日送達の訴訟告知書をもって振出人たる訴外堀池に対して訴訟告知をしていることが明らかであるところ、右訴訟告知は、被控訴人が控訴人に対して裏書人としての償還義務を履行することによって本件各手形を受戻した場合には更に振出人たる訴外堀池に対して手形金の支払を請求する意思のあることを表示したものにほかならないから、手形法八六条一項により(同条項は、手形法七〇条三項の規定を前提とするもので、約束手形の振出人に対する手形金請求権については適用の余地がないとする見解があるが、右八六条一項は訴訟告知を一般的な時効中断事由として規定している法制にならったものであること及び手形受戻前の裏書人の利益を保護するために償還義務の履行によって取得すべき手形金請求権について独自の立場で消滅時効を中断する方法を認める実際上の必要があることを考えると、約束手形の振出人((為替手形の引受人についても同様))に対する裏書人の手形金請求権についても適用ないし準用があると解するのが相当である。)、そうでないとしても民法一五三条により、消滅時効を中断する効力があると解されるのである。ただ、民法一五三条による中断の効力を認める場合には訴訟終了後六か月以内に更に同条所定の強力な中断手続をとる必要が残るものの、いずれにせよ、被控訴人が償還義務を履行することによって本件各手形を受戻した場合に振出人に対して取得すべき手形金請求権について、右訴訟告知により条件付ではあるが消滅時効が中断されたことになるというべきである。

してみれば、被控訴人が控訴人に対して償還義務を履行することによって本件各手形を受戻した場合には、更に振出人に対して手形金の支払を請求することにより、償還による失費を回復することが不可能ではないから、振出人の手形金支払義務が控訴人との関係において時効消滅したため控訴人としてはもはや振出人に対して手形金の支払を求める余地がないとしても、裏書人の利益保護を目的とする手形法五〇条一項の趣旨に反するおそれはないので、被控訴人の控訴人に対する償還義務そのものを否定する必要はないと解するのが相当である。もとより、被控訴人が訴訟告知をすることによってなした時効中断の効力は、裏書人たる被控訴人自身について生ずるものであって所持人たる控訴人に対して生ずるものではないが、右時効中断は被控訴人が控訴人に対して償還義務を履行することによって本件各手形を受戻した場合のことを考慮してなされたものであるから、それが被控訴人の控訴人に対する償還義務の存否につき右にみたような間接的な影響があったとしても、時効中断の効力の相対性を定めた手形法七一条に反するものではないと解すべきである。

もっとも、被控訴人は、振出人の手形金支払義務について三年の消滅時効期間が経過した後である昭和五一年一二月一七日に当裁判所に訴訟告知取下書を提出することによって右訴訟告知を撤回しているが、これは、償還義務の履行によって振出人に対して取得すべき手形金請求権について条件付で生じた時効中断の効力をみずから放棄したものであって、これによる不利益を承知のうえでなしたことが明らかであるから、そのために償還義務の履行による失費を回復する余地がなくなったとしても、このような被控訴人を保護する必要はなく、したがって、被控訴人の償還義務を認めた前記判断を左右することにはならないというべきである。

(三)  又、控訴人は本件各手形の所持人であるから、裏書人たる被控訴人に対して償還請求をするのとあわせて振出人たる訴外堀池に対して手形金の支払を求める訴を提起するなどすれば、自己の振出人に対する手形金請求権についても容易に消滅時効を中断することができたのであって、これをしなかったことは所持人たる控訴人の怠慢であることは否定できない。しかし、前にみたように、被控訴人は、自己の償還義務についての消滅時効の利益を放棄したうえ、控訴人及びその代理人に対して再三にわたって支払義務を認める態度を示し、控訴人をして遠からずその履行がなされるとの期待を抱かせながら、後にこれをひるがえして右義務を履行しようとしないために本件訴訟に至ったものであり、しかも本訴(手形訴訟の終局判決に対して異議申立があり通常手続に移行)においては裏書や債務承認の効力をめぐって引延しともみられる抗争をしたためにその審理に長期間を要することになったもので、かくするうち振出人の手形金支払義務について三年の消滅時効期間が経過したといういきさつが明らかであるから、被控訴人には控訴人に対して重大な約束違反及び不当抗争があるとの非難も当らないわけではなく、したがって、控訴人に前記のような怠慢があるからといって、必らずしも被控訴人にとっての有利な事情にはなりえないと解するのが相当である。

(四)  これを要するに、本件では、裏書人たる被控訴人は、自己の償還義務についての消滅時効の利益を放棄したうえ、所持人たる控訴人及びその代理人に対して再三にわたって支払義務があることを認め、確実にその履行がなされるものとの期待を抱かせながら、その信頼を裏切ってこれを履行せず、本件訴訟においても手形の裏書自体を否認したりその他種々の主張を提出することによってその審理に長期間を費やさせる一方で、償還義務を履行することによって振出人に対し取得すべき手形金請求権について一旦みずから消滅時効を中断する措置をとりながら控訴審に至り不利益を承知のうえでこれを撤回したのであるから、その結果としてたとえ現在では振出人に対して手形金の支払を請求することができず、償還による失費回復の余地が存在しなくなったとしても、被控訴人は、信義則に照らして控訴人に対する償還義務の履行をまぬかれることができないものというべきである。

なお、約束手形の振出人の手形金支払義務につき消滅時効が完成した場合には、所持人は裏書人に対しても償還請求権を行使することができなくなると解した判例があるが(大審院昭和八年四月六日判決、民集一二巻六号五五一頁、大審院昭和一二年八月六日判決、新聞四一八一号一二頁)、いずれも現行手形法が施行される以前の事案に関するものであるうえ、本件では、裏書人が自己の償還義務について消滅時効の利益を放棄し、しかも振出人に対して取得すべき手形金請求権についてみずから消滅時効を中断する措置をとっている点で、事案を異にするから、右各判例のあることは、前記判断をするについての妨げとはならないものと解される。

(五)  したがって、所持人に対する関係で振出人の手形金支払義務が時効消滅したときは裏書人の償還義務もこれに伴って消滅したことになるとの被控訴人の主張は採用できない。

四  更に進んで、被控訴人の原因関係上の抗弁について検討する。

被控訴人は、本件各手形は、訴外松本及び辻谷が訴外増田に対する負債返済の担保とするために新たに交付したか又は書替えたもので、控訴人は期限後の手形取得者であり、しかも、訴外増田は訴外松本及び辻谷に融資するに際しては利息制限法所定の制限を超過する日歩二〇銭の割合による利息を約定させ、本件各手形以外の手形による貸借については現実にそのとおりの利息の支払を受けていたと主張する。しかし、本件各手形を担保とする金員の貸主が訴外増田であるというのは、被控訴人が《証拠省略》において、本件各手形によって控訴人から金員を借入れたことを認める趣旨を明らかにし、又、《証拠省略》によって認められるように、被控訴人が本件各手形の裏書と時期を同じくする昭和四六年五月二七日にその所有不動産につき担保の趣旨で控訴人のために売買予約を原因とする所有権移転請求権仮登記を経由していることとあいいれないし(《証拠省略》によっても、訴外増田が本件各手形による貸借の当事者であるとは認められない。)、利息制限法所定の制限を超過する利息の約定又はその現実の支払があったことについては、《証拠省略》中にこれに符合する記載ないし供述があるが、これらは、控訴人ではなく訴外増田との間の貸借に関するものであったり、あるいは、直接の体験に基づかない伝聞を内容とするものであったりして、右事実を裏づけるに足る的確な証拠とはいいがたいものである。又、控訴人の手形取得が期限後のものでないことは、被控訴人所有の不動産につき担保の趣旨でなされた前記仮登記が本件各手形のいずれの満期よりも以前の時点でなされていることに徴して明らかである。

したがって、被控訴人の右主張はいずれも採用できない。

五  以上のとおりであって、被控訴人の抗弁はいずれも理由がなく、控訴人の被控訴人に対する償還請求を正当として認容すべきであるから、これと結論を同じくする手形判決の認可を求める本件控訴は理由があることになり、右手形判決を取り消して控訴人の本訴請求を棄却した原判決を民訴法三八六条に従い取り消し右手形判決を認可することとし、訴訟費用の負担につき、同法九六条、八九条、四五八条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 吉岡進 裁判官 前田亦夫 太田豊)

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